こんにちは!トリ女のマミです。
今回は「世界のツワモノ通訳者」というテーマで、「スピーカーの黒子」という通訳者のイメージを大きく覆し、なんとスピーカー本人の役割を果たした、仏露通訳者アンドレ・カミンカ―と日英通訳者國弘正雄の事例をご紹介します。
下記記事で考察した「通訳者の役割」について、さらに深めていければと思います。
はじめに
上記記事では、通訳者鳥飼玖美子氏著の『通訳者と戦後日本外交』(みすず書房)をもとに、下記2つの通訳者の役割をご説明しました。
- 「スピーカーの言葉を忠実に訳す」役割
- 「小さな外交官」という役割
1つ目は、多くの人が「通訳者の役割」だと納得がいく「スピーカーの言葉を忠実に訳す」役割で、もう1つは、「何のために訳すのかという目的」に応じて、スピーカーの言葉を「加工」することもある「小さな外交官」という役割。
今回ご紹介するのは、2つ目の役割をもっとダイナミックにした、目的に応じてスピーカーの言葉を「創作」した事例で、これは通訳者の本来期待される役割ではないのは言うまでもなく、通訳者の役割から大きく逸脱したとみなされ、通訳者自身を危険にさらす可能性高い行為である。
実際、のちに紹介する通訳者國弘正雄氏も、自身の行為を「通訳者のあるべき姿」ではないことを率直に認めている(鳥飼玖美子著『通訳者と戦後日本外交』p309(みすず書房))。
そんな通訳者の禁じ手ともよべる手段を大胆にとり、そして資料として残っている2人の通訳者アンドレ・カミンカーと國弘正雄の事例をご紹介しながら、通訳者の役割について再度考察したい。
アンドレ・カミンカー(André Kaminker)
カミンカーは、通訳史上最初の同時通訳者の一人で、2つの大戦で通訳をつとめた数少ない通訳者として、国際連盟および国際連合で通訳した(University of Ottawa Press (1998) ”The Origins of Simultaneous Interpretation: The Nuremberg Trial" p30より)。
アンドレ・カミンカーは伝説の通訳者で、卓越した記憶力を持っており、1時間のスピーチをメモを取らずに聞いて、それを異なる言語で再生できたと言われている(通訳サービスを提供するInterStar Translations社、2016年7月7日付の記事 "4 Most Important Persons in the Early History of Simultaneous Interpretation"より)。
上記からお分かりの通り、アンドレ・カンミカーは権威ある通訳者として知られ、そんなとき下記の禁じ手に踏みこんでいる。
ロシア語とフランス語を操り、いまでも"伝説名通訳者"といわれるアンドレ・カミンカーは、一九一九年のパリ講和会議で一時間にも及ぶ演説を通訳した際、話し手から「あなたの通訳はわたしの発言通りではなかった」とクレームをつけられました。パリ講和会議は、世界の外交史上はじめて会議通訳がおこなわれた国際会議といわれています。それまでの外交で共通言語として用いられてきたフランス語をアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領とイギリスのロイド・ジョージ首相が解さなかったためですが、この人類史上初の舞台でクレームをつけられたカミンカーは少しも動じることなく、次のように応えました。
「はい、違っています。わたしは"あなたが言ったこと"ではなく、"あなたが言うべきだったこと"を伝えました。」
(長井鞠子氏著『伝える極意』p12-13(2014、集英社新書))
スピーカーの発言内容とカミンカーの通訳内容の違いは不明のため、カミンカーがどう故意に誤訳したのかはここでは分からない。
が、通訳者カミンカーが何らかの目的で「スピーカーが本来言うべき」と思うことを「創作」し、スピーカーのかわりに発言した事実は残っている。
國弘正雄
故意に誤訳した内容とその理由が資料として残っているのは、通訳者國弘正雄氏のケース。
下記が氏の「創作」した経緯と内容である。
三木武夫首相が一九七五年に訪米した際の出来事であり、「本人」として通訳をやってのけたのは、國弘正雄である。
以下、國弘の自身の語りから、当時を振り返ってみたい。
國弘 それでワシントンでね、総理になってからね、ワシントンで外人記者クラブで、新しく総理になった人は講演もせないかんわけ。それでまあ講演、三木さんやったっていうわけよ。
ところが・・・質疑応答の最後はね、ふざけた質問をするんだよ。ふざけたって言うと語弊があるかもだけど、それはね、ふざけて答えなきゃいけないんだよ。つまり、どういう答えをするかによって、その人のスピーカーとして、政治家としての力量をはかっちゃうんだよね。(途中略)
それは知ってたの。それを三木さんにも言ってたわけよ。事前に。総理ね、最後の質疑応答のときは勝手に訳しますから変なこと言わないでくださいと。(途中略)三木さん英語わかるからさ、そんなこと言っとらんといわれたら面目丸つぶれだからさ、こっちは。だからね、最後の、質疑応答のところはまあ全く私が勝手に訳しますからね、と言っておいた。
(途中略)
國弘 そういう皮肉なこと言わないでよ。あえて誤訳したわけですよ。はっきり言えば。
鳥飼 三木さんは何かおっしゃったわけですよね?
國弘 おっしゃったんだけどね。あまり面白くなかった。どうしてああやってくそ面白くもないこと言うんだろうと思ったよ。非常に生真面目に。あの人、生真面目だから。要するに話の内容はね、当時のジャイアンツ、当時ね、ジャイアンツは強かったのよ、今のジャイアンツとは違うのよね。ジャイアンツをね、譲ってくれませんか、我々も強化したいから、という質問だったのね。それで三木さんはね、それに対して野球のことなんかよく知らないじゃない。(途中略)
ちょうどね、当時ね、日米の経済交渉なんかでさ、なんていうかな、結構こうやってきたときだったの。ね、それが頭にふっと浮かんだからね、こう言ったのよ。このね、今では、プロ野球は日本のnational pastime[国民的娯楽]。アメリカだけのnational pastimeじゃありませんよと。日本の国技でもあるんだからね、あなたがたがね、何でもね、言えば我々がイエスと言うと思ったら大間違いですよと。日米交渉と同じだと。
そしたらね、みんながワーッと拍手してくれたわけよ。三木さんはキョトンとしてたよなあ。はっきり言うとね。
(鳥飼玖美子著『通訳者と戦後日本外交』p307-308)
三木首相の発言を「創作(故意に誤訳)」した理由を、氏は下記のように述べる。
僕は何とかして三木さんを、生意気な言い方でゴメンナサイね、彼を男にしたいと思ったわけ。総理にしたいと思ったわけよ。何とかして総理にしたいと。それでね、それだから外国、僕ができる分野っていうのは、外国における、あるいは外国とのからみを、少しでもプラスに働かせたいっていうのが僕のできることでしょ。
國弘が、三木首相記者会見で通訳者としての役割を逸脱したのは、三木への思いが優先したことにほかならない。
(鳥飼玖美子著『通訳者と戦後日本外交』p313)
三木首相の世界的評価を高めたいという通訳者の思い(目的)と、故意に誤訳する(通訳者がスピーカーの発言内容を「創作」する)という通訳者の役割を逸脱した方法が功を奏した、非常にレアなケースである。
おわりに
今回ご紹介した2つの事例は、通訳者の役割を大きく逸脱するレアなケースです。
スピーカーの発言を忠実に訳すことが、スピーカー自身などにネガティブな影響をもたらす可能性が高いと通訳者が気づき、かつスピーカーの発言を「加工」するだけでは不十分な場合、創作する(意図的に誤訳する)という最終兵器(通訳者本人も危険にさらすので、自爆装置とも言えるかもしれません)で回避できる、ということを理解していただいたのではないでしょうか。
その自爆装置の発動条件は、國弘氏が語ったような「特定人物への思い」や、カミンカーのような「こうあるべき」という信条なのかもしれません。
通訳者の役割とは何なのか、なかなか一筋縄ではいかないようです。
今回記事でご紹介した本はこちら。
鳥飼玖美子著『通訳者と戦後日本外交』
長井鞠子氏著『伝える極意』
楽天のはこちら。
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