こんにちは!トリ女のマミです。
今回はトリ女が尊敬する、ロシア語通訳者の米原万里氏の代表作 『不実な美女か 貞淑な醜女か』(1994年)をご紹介します。
米原万里氏はトップ通訳者として活躍されただけでなく、その巧みなユーモアのセンス・言葉に対する感性を執筆活動にも活かし、エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家という肩書きをあわせもつ、奇才の通訳者である。
今回ご紹介するのは、米原氏が上梓した作品のうち、初めて文学賞を受賞し(読売文学賞)、のちに氏の代表作にもなった『不実な美女か 貞淑な醜女か』(1994年)。
惜しまれながら2006年56歳の若さで鬼籍に入られている氏の、通訳という仕事に対する深い愛と造詣を、ユーモアとともにご堪能ください。
はじめに
通訳者・米原万里氏を知ったのは、通訳者を目指して学校に通いながら、翻訳職についていた20代半ば。
米原万里氏著『ヒトのオスは飼わないの?』を、図書館から借りてきた母にすすめられたのがきっかけだった。
『ヒトのオスは飼わないの?』は、猫と犬を多頭飼いしている米原氏が、ペットとの共同生活をユーモラスに描いた内容で、通訳とはさほど関係なかったものの、トリ女の通訳者観を大きく揺さぶる作品になった。
ユーモアセンス抜群の通訳者もいるんだ、と。
トリ女の勝手な通訳者のイメージは、とにかく、とにかく真面目。
日々意味が変化し、新たに作られる言葉を、毎日、コツコツ、地道に吸収する。
仕事上常に黒子に徹し、自分の個性(考え)を抑圧し、毎日、コツコツ、知識を吸収する。
仕事上もちろん上記要素は必要になるけれども、それでも抜群のユーモアのセンスで、ときには(よく?)下ネタも大胆に披露する、個性強い米原万里氏にトリ女は大きく惹かれた。
米原万里氏とは
日本共産党幹部である父親の仕事の関係で、幼少期はプラハ(チェコスロバキアの首都)のソビエト学校に通っていた帰国子女(1950年生まれ)。
そして、なんと、なんと、東外大の大先輩。氏はもちろんロシア語専攻。
ちなみに私が尊敬する佐藤優氏(元外交官・作家)の奥様も東外大ロシア語卒ということで、東外大ロシア語には魅力的な女性が多いという仮説をひっそりと立てています。
話を戻すと、米原万里氏はロシア語講師として生計をたてつつ、20代後半から通訳・翻訳を始め、ペレストロイカ(1980年代後半)以降、ソ連・ロシア関係の同時通訳として活躍されるようになりました。
そして2006年、卵巣がんのため、惜しまれながら56歳の若さで鬼籍に入る。
トリ女のTake Away
本書の中から、トリ女が皆さまと共有したい2か所を下記にご紹介いたします。
・受け手を意識した訳語の重要性
さっそく、米原氏の下ネタ(?)通訳例をご紹介しながら、通訳において、受け手を意識した訳語の重要性を再確認していきたいと思う。
やや長いのですが、本書からの抜粋をお楽しみください。
日本人で初めて宇宙を飛んだのは秋山豊寛さんだが、この人が選ばれるまでには千人を超えるTBSおよび関連会社の社員が医学選定の検査を受けた。
(途中略)この検査は、日本の大学病院で行われたのだが、基本的に今まで相手にしてきたのが、病人ばかりだった。当然のことながら、病人を治療する、病人を健康にすることを使命としてきた。ところが宇宙飛行士選定ともなると、健康に自信のある人たちの中からとりわけ健康な人を選ぶということで、その大学病院の先生方も、いったいどう対処すべきか迷ってしまわれる面が多々あった。そのため検査方法に関して指導する目的で、当時はまだソ連と呼ばれた国の宇宙医学専門医が来日し、私が通訳にあたった。
(途中略)そのため実に丹念に綿密に、最終的には触診の検査をする。女性の場合には乳房を、男性の場合には陰嚢の鞘膜腔を丁寧に辛抱強く指先で引き伸ばしながら、調べていく。
(途中略)一方TSBは報道機関であるから、そこの医療選抜検査の様子は逐一、私が電話で報告し、何かニュース・バリューのあるものがあったら、即それを報道するような態勢になっていた。
診察の結果Oさんという人にシコリが見つかり、私はすぐさまTBSの報道局に電話をして、
「Oさんの陰嚢の鞘膜腔を触診した結果、腫瘍らしいシコリが確認されましたので、さらに綿密な検査を要します」
と伝えた。しかしどうもそのとき、TBSの報道局と大使館をつなぐ電話の回線の具合が悪かったらしく、相手は何度も聞き返してくる。だんだん私の声のボルテージも上がっていく。なのに相手には通じていない。ついに私も意を決して、大使館中に響き渡るような声で、
「えーとですね、Oさんのキンタマのしわをですねえ・・・・・・」
と怒鳴っていたのであった。そして、今までの苦労が嘘のようにスンナリと通じてしまった。それまでの意思疎通の悪さは、電話回線のせいではなく、相手に合わせて適切な訳語を用いなかった私が悪かったのである。訳者は常に受け手に理解されることを念頭において訳語をえらぶべきなのである。
(『不実な美女か貞淑な醜女か』4 同時に二人の旦那に使える従僕)
通訳する相手によっては、医学用語よりも俗語のほうが伝わりやすい、というロ日通訳例をご紹介しました。
上記に追加して、相手に合わせて内容を変更した、トリ女の日英通訳実体験を下記にご紹介します。
※通訳者として守秘義務があるため、一部内容脚色していることをご理解ください。
客数アップを目的に、英語圏カウンターパートから提案されたプラスサイズ・モデル(通常のモデルと比較して、ふくよかなモデル)を含む、新モデルを起用したイメージ画像を使用したものの、逆に客数ダウンする結果になってしまったトリ女現職。
客数ダウンの理由を会議で検討すると、「モデルがプラスサイズすぎる」という声が一部であがり、トリ女はその内容を、かなーりプラスサイズの英語圏カウンターパートの出向社員に通訳しなければならなかった。
出向社員出身の英語圏では「ボディ・ポジディブ(body positivity)」という、ありのままの自分を体型含めて肯定する考えが流行しており、「plus-size(プラスサイズ)」という言葉は(おそらく)ポジティブの意味が強いので、"The models are too plus-size"と直訳しても伝わらない可能性があった。
また、トリ女気を使いすぎたかもしれないが、かなーりプラスサイズの出向社員に、「モデルがぽっちゃりすぎる(ので日本では魅力的にうつらなかった)」とも言いづらく、結局 "The models are not so slim(起用モデルがあまり細身でなかった)"と婉曲に通訳。
トリ女訳が良かったのかは不明だが、出向社員は無表情で"OK"と返答した。
・「庶務課係長の訳」から「こなれた日本語」へ必要な判断力。
駆け出しの通訳者トリ女にとっては、下記で言われる「庶務課係長の訳」すら難しいのだが、
テレビの同時通訳に耳を傾けると、時おり語数は非常に多いけれども、何を言ってるのかさっぱり分からない通訳者がいるでしょう。情報の核をつかみ、余分な情報を切り捨てる勇気と労力を惜しんだ結果である。
「お役所の庶務課係長の訳ですな」
と知人は絶妙な譬えを用いて辛らつに皮肉る。判断を下すことによって責任が生じることを極力避けようとする性向を言い当てて、耳が痛いながらも笑ってしまう。
(『不実な美女か貞淑な醜女か』8 庶務課係長の訳)
プロ中のプロの通訳者になると、下記のような、自己判断をともなう「こなれた日本語」に訳せるようになるという、通訳の上達ステップを知ることができた。
ちなみに田中さんは(トリ女注:通訳者田中祥子氏)、英語の達人であるばかりでなく、私の知る限り、わが国の、英語はおろか、あらゆる言語の通訳者中、最高の日本語の遣い手である。例えば、
「来年度の日本のGNP成長率は、四%前後になります」
という発言に対して、
「Oh, it's too optimistic !」
という反応があった場合、田中さんは決してこれを
「それは、あまりにも楽観的すぎます」
なんてこなれない日本語に置き換えたりせずに、
「読みが甘すぎやしませんか」
と訳してくれるのだから、舌を巻く。
(『不実な美女か貞淑な醜女か』3 時の女神は通訳を容赦しない)
知識も経験も少ないトリ女には、「Oh, it's too optimistic !」を、その場の雰囲気を凍らせる可能性のある「読みが甘すぎやしませんか」に訳す判断力と勇気はまだ持ち合わせてないですね。
また、余分な情報を切り捨てて、訳語があまりにも短くなると、特にトリ女のような駆け出し通訳者だと、なかなか信用してもらえないこともある。
下記は、『不実な美女か貞淑な醜女か』で語られている、ロシア語通訳協会主催のシンポジウムで、日本人スピーカーに悩まされた経験を寸劇仕立てにしたものである。
実際にこういうシチュエーションに遭遇すると、駆け出し通訳者のトリ女は「ちゃんと通訳しているのだろうか・・・」と怪訝な顔をされてしまうのである。
寸劇 『肝心なことだけ訳すればの巻』
脚本 小林満利子
場面 対旧ソ連諸国知的支援レクチャーの会場
登場人物 日本人講師、通訳者、旧ソ連人
講師 えー、これで私の講義を終わらせていただきたいというふうに思います。お話したことが、ソ連の皆さまの・・・・・・あっ弱ったな、ソ連はいまはもうないんだから、ソ連じゃあまずいですな、旧ソ連。いや、旧ソ連というのも失礼ですねえ。えーと、独立国家、CIAですか、略して、いやCSIか、あっ違った。すいません。外務省はどちらにしたんでしたっけ。ロシアにしときますか。でもロシアのほうだけでもないわけですから、まあ、全部の名前を言えば無難ですが。ええっと、まずロシア、それからカザ、カザフでしたかな。あとはなんでしたっけ?(と通訳のほうを見ながら)ま、適当にお願いします。
通訳 (ちらりと白い眼で講師を見る)
講師 何の話してたんでしたっけ。えーと、そうそう、皆さまは市場経済を目標にして貴いお力を尽くしておられるわけですが、私はここで短い時間ではありましたが、大変まとまりのない話をさせていただきまして、多少なりともお役に立ちますならば、というふうに思いますような次第でございます。えーっ、ご質問がありましたら、お答えさせていただきたいというふうに思います。
通訳 (ロシア語で)これで私の講義は終わります。この講義が、皆さま方のお国の経済改革に僅かなりともお役に立てば、これほど嬉しいことはありません。さて、ご質問はありますか。(と簡潔に訳す)
旧ソ連人 (ロシア語で)貴機関の平均賃金はいくらでしょうか。
通訳 (訳す)
講師 えっ、給与ですか。そんな質問が出るのですか。いやー、講義のテーマ以外のほうの話はですね、総務のほうの連絡では話さなくてもいいというふうに聞いていたんですがね。(途中略)まあ、全国平均の数字で言っておてください。お願いします。
通訳 (ロシア語で)私どもの従業員の平均賃金は、月三十万円ほどです。
講師 (ロシア語で)この財団の財源は、どうなっているのですか。
通訳 (訳す)
講師 えっ、どこがお金を出しているかということですか。いやー、また数字の話のようなんですが、経済改革のほうの質問ならいくらでもお答えできるのですが。(途中略)ですから会計年度は三月に終わって四月に始まって・・・・・・、会計年度、ああ、そうか、国です。
通訳 (ロシア語で)国家です。
講師 (まじまじと通訳の顔を見ながら)ロシア語にすると随分と短くなるんですねえ。
通訳 ・・・・・・(フンという表情)。
旧ソ連人 (ロシア語で)最後の質問ですが、この財団の職員数は合計で何人でしょうか。
通訳 (訳す)
講師 どうも予想してないことばっかりに関心を持たれるお客様のようですが、(途中略)まあ、顔を知っているだけで二百人ぐらいは知っておるんですがね、その倍じゃないですか。いや十倍ぐらい。そんなことないか。まあ、そんなところですね。新入社員も入っていますから。ああ、辞める人もいますし、その程度ですね。
通訳 (字句通りことごとく微に入り細にわたり訳す)
旧ソ連人 (立ちあがりつぶやく)はっきりいって、俺、全然わかんねえよ。
まあ、肝心なところだけを手短に訳していたときには非常によく通じていたのに、言っていることをすべて隈なく訳した途端に、相手にまったく通じなくなったというオチがついた寸劇で、会場を埋め尽くした通訳者たちの爆笑に次ぐ爆笑を誘ったことからみても、このタイプの日本人スピーカーに遭遇することがいかに多いか、お分かりいただけると思う。
(『不実な美女か貞淑な醜女か』4 カダフィの通訳を見習え)
おわり
皆さま、いかがでしたでしょうか。
上記以外にも大爆笑できる部分が盛りだくさんなので、通訳者を目指す方だけでなく、語学に興味ある人、通訳者米原万里氏に魅力を感じた人など、多くの方に面白いと思っていただける本です。
奇才の通訳者・米原万里の通訳観をお楽しみください。
米原万里著『不実な美女か貞淑な醜女か』をご紹介しました。
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