こんにちは!トリ女のマミです。
今回は通訳者村松増美氏の本、
『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』をご紹介します。
はじめに(村松増美氏紹介)
終戦後米軍関係の英文タイピストになり、
その後19歳で通訳者になったのが村松増美氏である。
通訳者になるきっかけは、
若年19才にして米軍(GHQ)に自分を売り込む
という氏の大胆な方法が奏功したためで、
東京外大英米科在学中に、たまたま通訳する機会を得た小松氏と大きく異なる。
小松氏については下記ブログをご参照ください。
この時のエピソードは、氏の考え方や人柄が体現されているので、
やや長いものの下記に引用した。
私の周囲に何人か通訳をしている人たちがいました。まわりはみな年上でしたが、強気が持ち前の私は、「自分にも通訳ができるはずだ」と思いはじめました。
(途中略)「私を通訳に登用することが、占領軍のためである」という、たいそうな理屈を持ちだして、あつかましくも先方の利益にうったえて売り込んだわけです。
しかし、なんといっても一九歳の若僧です。ことによったら「生意気なやつめ」とクビになるのではないか、と内心ビクビクしながらボスのほうをうかがっていました。ところがボスは、「面白い子どもだ」と思ってくれたらしく、さっそく翌日から通訳として現場に立つことになりました。
(途中略)あの程度の語学力で通用したのも、まわりにうるさい人が少なかったからでしょうか。今日だったらとても通訳とは呼べない代物だろうと、いまさらながら冷や汗が出る思いです。ともあれ、通訳としての資質のひとつは、どんなときでも決してパニックに陥らないということです。度胸だけは、すでに私には備わっていた模様です。
(『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』p30-32)
こうして氏は通訳者としてのキャリアを歩み、
「ミスター同時通訳」と呼ばれる卓越した日英会議通訳者になり、
惜しまれながら2013年鬼籍に入られた。
トリ女のTake Away
本書は下記3章で構成されている。
- 第Ⅰ部 ほんとにわたしは英語が話せなかった
- 第Ⅱ部 ついに私は英語で笑わせるようになった!
- 第Ⅲ部 英語上手は日本語じょうず
第Ⅰ部には、通訳者になるまで~新人通訳者時代のエピソード、
第Ⅱ部には、ベテラン通訳者時代のエピソード、
第Ⅲ部には、通訳者としての氏の総括(日本語の重要性、日米の表現的違い)
が語られ、どの章も氏のユーモアあふれる人柄が惜しみなく出ている。
なかでも、トリ女が皆さまと共有したいエピソード2つを抜粋し、
下記にご紹介させていただきます。
- コンテクスト(文脈)の重要性
村松氏自身の下記誤訳エピソードから、
ベテラン同時通訳者でもすべての英語を正確に聞き取れているわけではなく、
よく聞き取れなかった部分の内容把握はコンテクスト(文脈)で補っている、
というコンテクスト(文脈)の重要性を再確認しました。
会議の三日間、当時の駐日アメリカ大使マイク・マンスフィールドさんがオブザーバーとして出席していました。最終日、ずっと静かに傍聴していた大使に、アメリカ人の議長が閉会にあたって、「最後に何か、お言葉を」と水を向けました。
じつは、ちょうどその一〇分ぐらい前に、野球の王貞治選手がホームランの世界記録を作ったと、マンスフィールドさんは秘書からメモを貰っていました。そこで大使はパイプをくわえてゆうゆうと立ちあがったと思うと、手をあげてただ一言、「オー・メイド・イット!」("Oh made it!")といったのです。
その瞬間、同時通訳をしていた野球オンチの私には、「オー・メイド・イット」が「オメデトウ」と聞こえ、"Congratulations!"と英訳するという、とんちんかんな誤訳をしたのでした。すると、ブースのなかで隣にいた若い同僚が、「王」という字を急いで紙に書いてくれたので、私があわてて、「王がやりましたぞ」と訳すと、みな笑ってくれました。
(『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』p126-127)
上記のような非常に高度なコンテクスト(文脈)ではないものの、
語彙力不足とコンテクスト(文脈)不足で、
トリ女が苦しい訳をした経験を下記記事に書きましたので、
ご興味ある方は読んでみてください。
- 単語の持つニュアンスの重要性
別記事でも是非書きたいのが、このニュアンス把握の重要性。
単語の持つ肯定的・中性的・否定的なニュアンスを丁寧に把握することで、
特にビジネスにおいてミスコミュニケーションを防げます。
理想を言えば、英語を学び始める中学生(または小学生)のときから、
単語のニュアンスを一つ一つ先生から教わりたかった・・・。
そうすれば大人になってから学び直す労力と時間が大分減ったのになあと。
スピーチをspeechと訳す危険
会議の席などで使う場合のstatementとspeechもまた、だいぶ違う語感を持っています。ステートメントはいわば無色の言葉ですが、スピーチは形式の整った、格式ばった、仰々しい感じです。
ある日米閣僚会議で、米国のある官僚がひとくさり発言したのに対し、日本の議長が「ただいまのご発言、どうもありがとうございました」と述べたのを、通訳者がうっかり"Thank you very much for your speech."と訳してしまいました。
あたかも長い演説をしたことを皮肉ったように聞こえたのでしょう。米側の議長が、発言した官僚をさして、「彼は話が長いので有名なのです」("He has a reputation for making speeches.")といったものでした。米側はドッと笑い、日本側はきょとんとしていました。"Don't give me a speech."といえば、「長話はご無用」という感じです。
(『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』p196)
ということで、状況によって「speech」は否定的な意味を持つようです。
ちなみにトリ女の現職では「aggressive」は通常肯定的な意味で使われます。「agressive=攻撃的な(否定的)」と思っていたトリ女は最初びっくりでした。
例えば、英語圏のパートナー企業からマーケティング提案を複数受けたのですが、
費用対効果が不明なためすべてお断りしたときに、"We can be more aggressive." (もっと積極的にマーケティング施策に取り組んでいきましょう)といった具合に、
一つでも自分たちの提案を受け入れてもらおうと粘る姿勢を取られたことがあります。
ちなみに英語と格闘する社会人の味方、英辞郎で「agressive」を引いてみると、
- 攻撃的な、挑戦的な、好戦的な、すぐに人につっかかるような、侵略的な、強引な◆否定的意味
- 活動的な、積極果敢な、積極的な、果敢に挑戦する、迫力たっぷりの、攻めの ◆肯定的意味
という結果で、上記順番からしても否定的な意味のほうが濃いように思えるのですが、
言葉の性質上、使用する人や企業文化によってニュアンスが変わるんでしょうね。
おわりに
晩年ミスター同時通訳と呼ばれた村松増美氏も、最初は英文タイプライターから英語のキャリアを歩まれています。
氏の生きた時代と現在は大きく異なるかもしれませんが、持ち前の強気とユーモアのセンスで、好奇心の赴くまま積極的にチャレンジしていく氏の姿勢に強く惹かれました。
村松増美氏著『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』(2003年)
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