こんにちは!トリ女のマミです。
「トリ夫婦、旅に出る」と題して、トリ女のゴールデンウィーク旅行記をつづりたいと思います。
今回はカンボジア編第3回目で、首都プノンペンでの観光をつづります。
シェムリアップ編をご覧になりたい方は下記をどうぞ。
はじめに
下記スケジュールで旅に出たトリ夫婦。
4月24日~4月28日:カンボジア(シェムリアップ+プノンペン)※現在ここ
4月29日~5月4日:マレーシア(ランカウイ島+クアラルンプール)
5月5日~5月7日:韓国(ソウル)
最高気温40度近いこともあったシェムリアップ2日間、早朝から夜までずっと観光してたトリ夫婦は、疲労のため体調不良に。
カンボジア以外の観光も控えているので、観光ペースを抑えて、プノンペンではゆっくり過ごすことにしました。
プノンペンで良いホテル(コートヤード・プノンペン)を予約して正解でした。
シェムリアップのホテルは安かった分(2人で約40ドル/3泊)、部屋の温度調節が難しく(冷房強で寒いか、冷房弱で暑いかの2択)、これも体調不良の一因になったかもしれません。。。
プノンペン観光
プノンペン観光2日間で訪れたのは下記2か所。
両方ともポルポト率いるクメール・ルージュにまつわる場所です。
- キリングフィールド
- トゥールスレン虐殺博物館
まずはキリングフィールド。
正式名称は「チュンエク大量虐殺センター」で、クメール・ルージュが敵とみなした者を殺害した場所。
クメール・ルージュ撤退後(1979年)、当時あった施設は解体され、建築資材が生活用に持ち去られた関係で、「チュンエク大量虐殺センター」では発見された犠牲者の遺体や遺品を中心に展示している。
オーディオガイドとともに上記番号順に移動し、遺体が発見された場所や、犠牲者の衣服の展示を見て回りながら、最後に中央の慰霊塔で犠牲者の骨を弔う流れ。
オーディオガイドの質が非常に高い。
生存者のインタビュー音声交えて説明することで、当時の状況がいかに残虐であったかをリスナーに容易に理解させる内容になっている。
次にトゥールスレン虐殺博物館。
トゥールスレン虐殺博物館は、クメール・ルージュが敵とみなした者を収容した場所で、チュンエク大量虐殺センター(処刑場所)に送られる前に、犠牲者が生活していた場所である。
オーディオガイドの質が高いうえに、当時の建造物(上記写真)や、収容者を虐待するときに使用した拷問道具などがそのまま残っており、かつ収容者の写真や生存者(画家)の絵の展示があり、チュンエク大量虐殺センターよりも情報量が豊富な博物館となっている。
キリングフィールド・トゥールスレン虐殺博物館ともに、オーディオガイド&見学で2~3時間要するが、悲惨な歴史を深く理解するためには必要だと思う。
ちなみに、1975年~1979年の約4年間に約300万人が犠牲になったのだが(大半がカンボジア人)、これはヒトラーが政権を握った1933年~1945年の約12年間に約600万人のユダヤ人が犠牲になった時より犠牲者が出るスピードが速い、という驚愕の事実もあわせて覚えておきたい。
コートヤード・プノンペン
トリ夫婦SPGアメックスカードを活用し、コートヤードプノンペンを予約しました。
SPGアメックスカードを利用して「Marriott Bonvoy参加ホテル」に予約すると(コートヤード・プノンペン含む)、チェックアウト延長や部屋のアップグレードが無料でできる特典が受けられるんです。
トリ夫婦は今回、Delux Guest Room (225ドル/2泊)価格でExecutive Delux Room(300ドル/2泊)にアップグレードとなり、かつExecutive以上の宿泊者が利用できるラウンジを利用できるようになりました。
Executiveラウンジは、軽食(朝と夜)と飲み物(夜はお酒も提供)を自由に入手でき、かつ限られた宿泊者が利用する静かな空間なので、ブログもこちらで書きました。
暑さとタイトな観光スケジュールで弱っていたトリ夫婦にとって、ホテルでゆっくりくつろげたのは、本当に助かりました。
おわりに
今日でカンボジア編はおしまいで、明日からマレーシア編が始まります。
最後にトリ夫のカンボジア装備品を公開します。
記事更新のはげみになりますので、
トリ女のTwitterをフォローしてもらえると嬉しいです。