こんにちは!トリ女のマミです。
読者の皆さま、トリリンガル女子(トリ女)の旅行記にお付き合いいただきありがとうございます。沖縄旅行記も残りあと下記2回になりました。
- 世界遺産・玉
陵 と首里城巡り+ペリー来航記念碑 ※今回 - 沖縄旅行がもっと楽しくなるマメ知識
今回は1番ベタなスポット首里城も登場しますが、他旅行者ブログでも多々語られていますので、本記事では簡単な説明と写真をさらっとご紹介。
そのかわり、首里城から徒歩圏内にあるにもかかわらず、訪問者が少ない世界遺産群の一つ「玉
最後に、下記記事でもご紹介した「ペリー来航」の記念碑をご紹介したいと思います。
首里城
2019年7月、最高気温30℃をこえる沖縄は天気良かったです。
首里城をめざし、守礼門を通りながら坂道をのぼっていきます。
そして首里城入り口をぬけると、
中央に大きく構えた首里城が見えてきます。
ここから首里城内の観光が始まります。
が、早くも辛口になって申し訳ないのですが・・・特に城内は400年以上続いた琉球王国の雰囲気をなかなか感じにくいです。
その理由の1つは、もともと首里城は、戦争や火事で何度か完全に焼け落ちてしまったので、下記記事で少し触れた、15世紀頃の建物はほとんど残っていません。
なので、さきほど写真でお見せした守礼門や首里城や、下記に見ていただく琉球国王の部屋などは、建物としての歴史浅く世界遺産ではないんです。
かつ、城内どこもスロープ付き完全バリアフリー仕様(エレベータも有)でとてもキレイなので、どなたでも観光できるという利便性はありますが、あまりに現代的な城内で歴史を感じにくいです。
ちなみに、2000年ユネスコ世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されたのは首里城ではなく首里城「跡」。
この世界遺産・首里城跡はどこにあるかというと・・・首里城床に急に現れるガラス張りの床下にあります。
超現代的なピカピカ城内の中に、ちょっとした説明書きが添えてあるこれが「世界遺産です」と急に言われても・・・歴史の重みを味わいにくいです。
ということで、辛口トリ女はこれにておしまい。
敷地内にある展望台から見る首里城は、なかなか美しかったので、首里城訪れた方は是非行ってみてください。
玉陵(たまうどぅん)
それでは本記事メインの玉
首里城から徒歩5分程度の場所にある世界遺産なのですが、トリ夫婦が訪れたときは観光客がほとんどいませんでした(他に3名ほど)。
琉球王国時代の古い建造物が残っているのですが、朱色が美しい華やかな首里城と違って見た目かなり素朴なためか、人気観光スポットではないようです・・・。
それではさっそく玉
まず名前は玉(たま)陵(うどぅん)で、代々の琉球国王が眠るお墓です。
正確にに説明すると第2尚氏国王のお墓。
ここで下記記事で書ききれなかった歴史を簡単に補足させてください。
参考資料はもちろん、『教養講座 琉球沖縄史』(新城 俊昭著、 編集工房 東洋企画、2014年)。
上記記事では、下記のように15世紀に
1429年
尚巴志 が琉球を統一して琉球王国を形成。その後首里城を整備・拡充し、中国を始め日本・東南アジア諸国との貿易をさかんに行う。
この説明、間違いではないです。
が、もっと正確に説明すると、実は
ということで話を戻すと、この玉
下記今帰仁城でお世話になったガイド・冨田さんによると、第1尚氏のお墓の場所は現在でも見つかっていないそうです。
400年ほど続いた第2尚氏のお墓が、ある程度そのまま残っている玉
見た目大変素朴ではありますが、建物と雰囲気が歴史を感じさせてくれました。
ペリー来航記念碑
そして最後にご紹介するのが、下記記事でも登場した黒船来航。
外人墓地の一角に1853年6月6日「ペルリ提督上陸の地」なる記念碑が建てられていました。
記念碑下の文字は現在なかなか読みにくくなっています。
沖縄地方内航海運組合によると、「琉球人の繁栄を祈り且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む 一八五三年六月六日 大美御殿における招宴席上のペルリ提督挨拶」と記載あるそうですです。
が、下記記事でもご紹介した通り、江戸幕府との交渉決裂の際には、琉球王国支配も視野に入れていたペリー提督。
宴席上の優美な言葉は、外交上の社交辞令だったかもしれませんね・・・。
おわりに
本記事で詳細にご紹介しませんでしたが、同日にひめゆり平和記念資料館にも訪れました。
沖縄(琉球)の歴史は、1回(3泊4日)の旅行だけではまだまだ理解が及ばないです。
機会があれば再度訪れたい場所ですね。
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