こんにちは!トリ女(日英中トリリンガル女子)のマミです(現在妊娠9か月&産休中)。
今回は「毒親の娘が母になる」シリーズ第4回目で、父と両親の離婚についてお伝えします。
具体的には、父、離婚する直前の母の様子、両親の離婚をご説明し、次回のテーマ「毒親に育てられた子供たち(毒親が与える精神的ダメージ)」につなげていきます。
プロフィールで「Sense of Humorが大事」と謳っていますが、「毒親」がテーマだけに、不快になることはあっても、笑いや感動をよぶことはありません。
が、現在30代前半のトリ女、紆余曲折ありながらも仕事を持ち、結婚&妊娠という、同年代の女性が経験できるコトを経験できるまでに、人生の軌道回復しています。
そういう意味では、ハッピーエンドではないにしても、マイナスの人生から普通に近い人生になったというノーマルエンドで本シリーズ終わりますので、読者の皆さまご安心ください。
本シリーズが、毒親で苦しむ読者だけでなく、幸運にも幸せな家庭で育った読者にも、有益な情報になれれば幸いです。
その他「毒親の娘が母になる」シリーズ記事はこちら。
- 毒親を定義&7つのパターン化した第1回目は、毒親と不幸率100%の絶望家族|毒親の娘が母になる(1)
- トリ女家の毒親をお伝えした第2回目は、トリ女家の毒親|毒親の娘が母になる(2)
- トリ女家毒親の毒親思考プロセスと毒親の毒親をお伝えした第3回目は、毒親の自己愛・毒親の毒親|毒親の娘が母になる(3)
- トリ女家父と両親の離婚をお伝えした第4回目は、このまま読み進めていただきたい。
- 毒親に育てられた子供をお伝えした第5回目は、毒親に育てられた子供たち|毒親の娘が母になる(5)
- 毒親の現在(2020年)をお伝えした第6回目は、毒親の現在(2020年)|毒親の娘が母になる(6)
- 毒親からの人生を取り戻す方法をお伝えした第7回は、毒親から人生を取り戻す|毒親の娘が母になる(7)
毒親とは
「毒親」の産みの親・米国セラピストのスーザン・フォワードは、その著書『毒になる親 一生苦しむ子供』(日本語訳:玉置悟)で「毒親」を下記のように定義する。
- 子供に対するネガティブ行動が執拗に継続し、成長後も子供を苦しめ続ける有害な親
さらに氏は、「毒親」を特徴毎に下記7つのパターンに分類した。
各毒親の簡単な特徴は下記で、
- 暴力を振るう親:子供を叩きたいという衝動を抑えられない親
- 性的な行為をする親:非常に倒錯し、性的な興奮を目的として子供に触れる親
- 義務を果たさない親:ネグレクトをする親
- アルコール中毒の親:子供から子供の役を奪い取ってしまう親
- 「神様」のような親:「親は絶対であり、子供は常に親のいう通りにしなければならない」と考える親
- コントロールばかりする親:干渉し、いつもコントロールしていないと気がすまない親
- 残酷な言葉で傷つける親:日常的かつ執拗に、ひどい言葉で攻撃を加える親
各毒親の子供への精神的影響など、より理解を深めたい読者は下記第1回目をお読みいただきたい。
- 毒親を定義&7つのパターン化した第1回目は毒親と不幸率100%の絶望家族|毒親の娘が母になる(1)
そしてトリ女家の毒親は、下記3つの毒親パターンに該当する。
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- 5. 「神様」のような親:「親は絶対であり、子供は常に親のいう通りにしなければならない」と考える親
- 6. コントロールばかりする親:干渉し、いつもコントロールしていないと気がすまない親
- 7. 残酷な言葉で傷つける親:日常的かつ執拗に、ひどい言葉で攻撃を加える親
トリ女家毒親の具体的な毒親事例について、より理解を深めたい読者は下記第2回目をお読みいただきたい。
- トリ女家の毒親をお伝えした第2回目はトリ女家の毒親|毒親の娘が母になる(2)
トリ女家の父
トリ女家の毒親は母である。
この事実に間違いないが、父が子供(姉とトリ女)にとって良き父親だったわけではない。
それでも父が毒親でない理由は、下記毒親定義にある、子供に対するネガティブ行動が「執拗に継続」しなかったからだ。
- 子供に対するネガティブ行動が執拗に継続し、成長後も子供を苦しめ続ける有害な親
専業主婦の母と比較して、医師である父は子供(姉とトリ女)と過ごす時間が圧倒的に少なかったのだ。
また、以下にお伝えする父の生い立ちを鑑みると、父の「子供に対するネガティブ行動」はある程度理解できる。
この点、家族に猛反発受けても執拗に残飯入り味噌汁を食卓に並べ続ける、理解困難な母とは大きく異なるのだ。
父の生い立ち
母より数歳年上、1950年代生まれの父(2020年現在60代)は、子供の頃から経済的に恵まれず、愛ある家庭で育ってこなかった。
幼い頃に両親が離婚、母親(トリ女の祖母)が女手一つで育てるのも難しく、大学入学まで何度も親戚の養子になった。
親戚とはいえ、他人の子を育てるほど経済的、精神的に余裕あるわけではない。
父を育てるリターンとして、親戚は10代の父に結果を求め、それが叶わないと容赦なく養子縁組を解消した。
具体的に言えば、高校受験や大学受験に失敗した父は、その度に実母(トリ女の祖母)や別親戚の苗字に一時的に戻り、経済的支援者が見つかると再度苗字が変わった。
だから父は、大学受験浪人だけでなく、高校受験浪人(志望高校に行くために浪人する)も経験している。
そういう愛情に恵まれない、ハイプレッシャーの青少年時代を過ごした父は、自他に厳しい性格になり、子ども(姉とトリ女)の高学歴を当然のものと考えた。
父と母
1950年代(2020年現在60代)生まれの両親は、「男は外で働き、女は家で家族を守る」という時代の価値観をそのまま持っていた。
医師の父は日中問わず働き、母は入社3年以内に寿退社して専業主婦になり、子育ては母の仕事だった。
大学卒業後すぐに結婚、20代半ばで子供を産んだ若い母が、最初から上手く子育てできるとは限らない。
姉が生まれた当初は、父も子育てに多少は協力していたようだ。
だからこそ、幼い姉が母を見て震えるようになった時、父が母にストップかけて姉を救うことができた。
が、仕事が忙しくなっていった父は、いつしか子育てを母に一任し、母の毒親行動を止められる人がいなくなった。
子供(姉とトリ女)が父に反抗すると「お前の教育がなってない」と母を叱りつけ、機嫌悪くなった母が子供(姉とトリ女)に八つ当たりする、というループが幾度となく繰り返されていった。
父と子(トリ女)
次女であるトリ女から見て、父は「子供目線に立てないオトナ」だった。
それが父の性格なのか、父なりの教育方針なのかは分からない。
幼いトリ女に「(トリ女は)子供だから、一緒に話してて退屈」と平気で言ってのける残酷さがあった。
また、囲碁が大の趣味で、日曜午後の「NHK杯テレビ囲碁トーナメント」を毎週楽しみにしていた父は、運動会などの学校行事を面倒くさがって参加せず。
旅行などの家族行事を浪費と嫌悪し、ジムに熱中する母を強く咎めるわけでもなく、自身も囲碁に没頭。
母と同じく、子供(姉とトリ女)より自分の趣味を優先した。
教育(学歴)については、トリ女の高学歴を期待した父だったが、優秀な姉と天と地の差があったためか、母とは違って半ば諦めていた。
そうは言っても「長女(姉は)は東大か国立大医学部で、次女(トリ女)が無名大学だったら周囲の同僚に言いづらい」と、相変わらず平気で言ってのける父がいた。
止まらない毒親
両親の離婚をお伝えする前に、トリ女家毒親・母の離婚直前までの様子を「金への執着」中心に触れておく。
第2回記事でお伝えした通り、両親の離婚原因は母の異様な金への執着と言っても過言ではない。
経済的困難な家庭に育ったわけでもなく、比較的年収高い医師を夫に持つ母が、なぜこれほどまで金に執着したのかは現在でも不明のままである。
また、離婚後父から話を聞く限り、結婚当初から金への執着があったわけではなさそうだ。
トリ女が振り返っても、母の金への執着、それに伴う節約・節制は徐々に極端になっていったと記憶している。
下記は、母の金への執着が強くなっていく様子を、その症状の度合い、母の行動、家族の評価に分けて示した表である。
症状 | 母の行動 | 家族の評価 |
※1 初期 | 家計を気にする | 好意的 |
中期 | 家計簿をつける、激安スーパーに並ぶ | 好意的 |
※2 後期 | 1. 誕生日などの家族行事を浪費と嫌悪 | 否定的 |
2. 残飯味噌汁が食卓に並ぶ | ||
3. 家計簿をつけなくなる | ||
※2 末期 | 1. 父の年収1億円求める | 理解困難 |
2. 父に対する強い猜疑心 | ||
3. 父の不在を喜ぶ | ||
4. 父方親戚との関係悪化 |
※1 トリ女が物心ついた時は既に中期の状態にあったため、初期は便宜上記載した。
※2 後期と末期の境界は非常に曖昧で、便宜上このように区別したものの、父に対する不満は後期からあったと記憶している。
母の金への執着は第2回、第3回でも触れているため、内容重複しない太字下線部分のみ補足説明する。
まず後期の「3. 家計簿をつけなくなる」について。
中期では毎日つけていた家計簿が、症状悪化した後期ではつけられなくなったのである。
離婚後母から理由を聞いたところ「支出を記入する度にイライラが募り、家計簿がつけられなくなった」とのこと。
だから母は、トリ女家の収入、支出、支出の大まかな内訳も把握せずに「お金を使わなければ、使わないほど良い」という極端な考えのもと、日常生活のあらゆる場面で制約をかけていった。
つぎに末期の「2. 父に対する強い猜疑心」について。
勤務先以外の病院で非常勤医師として働いていた父は、その収入を家に入れていなかったようである。
本来夫婦で話し合うべき問題だが、父に叱られてばかりの母は相談しようとしなかった。
その代わり、子供(姉とトリ女)に「あいつ(父)は自分だけ贅沢するダメ親だ」と繰り返し吹聴してストレス発散していた母。
もちろん問題の根本的な解決にならず、実際父はその収入で別の女性と生活していた。
最後に末期の「4. 父方の親戚との関係悪化」についてお伝えする。
前章でお伝えしたが、父の生い立ちは決して明るいものではなかった。
そのため、医師になった父は、恩返しとして実母(トリ女の祖母)に毎月仕送りし、経済的困難な兄弟(トリ女の叔父叔母)を金銭的にサポートしていた。
子供(姉とトリ女)でも理解できるこの恩返し・優しさを浪費と嫌悪する母。
症状末期に突然、「私への感謝がない」と父の兄弟(母の義理兄弟)に抗議したのである。
父方の親戚との関係が壊滅しただけでなく、兄弟を献身的にサポートしてきた父のメンツも大きく潰したのだが、「(トリ女家に巣食う)パラサイトを駆逐してやった」と母は正義感に燃えていた。
もちろん、父は仕送りを止めることはなかった。
父が離婚を要求する前の数年間、父は家に全く帰らなくなった。
完全に帰らなくなる前も、帰宅頻度は徐々に減っていっていた。
不審に思い、父との話し合いを提案する子供(姉とトリ女)。
に対し、「オトナの関係に子供が首を突っ込むな」「(父は)真面目に仕事するようになっただけ」と一笑する母。
相変わらず、父が1億稼いで来るのを待ち望んでいた。
両親の離婚
父が離婚を申し出たのは、トリ女が大学受験に失敗し、浪人決めた18才の春。
結婚したい女性ができたとのことだった。
世に言う不倫である。
日本では「不倫は男性が100%加害者、女性が100%被害者」という風潮が強い。
が、当時大学生の姉と浪人生のトリ女は、不倫の原因は90%以上母が悪い(加害者)という結論に達している。
年を追うごとに悪化する母に、家族は疲弊しきっていた。
もちろん父に非が無いわけではない。
ただそれは、不倫という行為に非があるのではなく、毒親・母から子供(姉とトリ女)を守らなかった、苦しむ子供を見捨てた行為により、「子供を幸せにする」という父親の責任を果たさなかった点に大きな非がある。
帰宅頻度が徐々に減り、数年間家に帰らなくなった父。
それを気にかけることなくジムや節約に勤しんだ母。
離婚は当然の末路と言える結果にも関わらず、母にとっては青天の霹靂だったようだ。
金に異様な執着があり、世間の評判第一だった母。
医師の妻という肩書と比較的高い年収の喪失、不倫された女という汚名が、到底受け入れられなかったのである。
この様に、毒親自身にある種の危機が訪れた場合、その親はどのように行動するのか。
米国セラピストのスーザン・フォワードは著書『毒になる親 一生苦しむ子供』で下記のように語っている。
「毒になる親」は、自分の危機にどう反応するか
比較的うまく機能している家庭では、親は自分自身あるいは家庭内に問題が起きた時、なんとかそれに取り組んで解決しようとする。そして、その時には物事をオープンに話し合い、いろいろ異なる選択肢もさぐり、必要とあれば外部の人間に助けを求めることも恐れない。ところが「毒になる親」は、問題が起きるとそれを自分のバランスを崩す脅威と受けとめる。そして、恐れとフラストレーションを露骨にあらわし、その結果が子供にどういう影響を及ぼすかについてほとんど考えることなく反射的に反応する。その対応の仕方は硬直化しており、パターンはいつも同じだ。
第八章 「毒になる親」はなぜこのような行動をするのか
スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』(日本語訳:玉置悟)
要約すると、子供のことを考えず、自分のためにその場しのぎ的に行動するのだ。
不惑の40才をとうに過ぎ、知命(自分の使命を悟るようになる)の50才に差し掛かっていた当時の母。
本も読まず、ニュースも見ず、家族の声も聞かず、ジムと節約のみに貴重な時間とエネルギーを使ってきた母には、自身の離婚問題を自力で解決する能力はなかった。
そこで母を高く評価する親戚から同情買うことで、助けて貰おうとしたのである。
以下は親戚から聞いた、母が語る離婚に至る顛末で、
- 結婚生活25年間幸せだったことはない
- 離婚を何度も考えたが、子供(姉とトリ女)のために耐え抜いた
- 父が家に帰らなくなり、あまりの不安で食事が喉を通らず、精神病院への通院も考えた
- そんな母親を、子供(姉とトリ女)はまったく気にかけなかった
献身的な妻・母と、冷酷な夫(父)・子供(姉とトリ女)という、現実と大きくかけ離れたストーリーで、自身のもろい自我を守ろうとしたようだ。
そして母方の親戚が介入する離婚問題は、不必要に複雑化していった。
人は苦境に立たされると、醜いエゴがむき出しになる。
金を中心に泥沼離婚劇を繰り広げる両親は、子供(姉とトリ女)に配慮することなく、絶望的な醜態を晒していった。
その姿を見て、トリ女は哀しくも悟ったのである。
両親は自分を愛してはいなかった。
自己ブランディングと、両親の勝手な理想を押しつけるため、利用されただけ。
そして不要になると、犬猫と同じく、ただ捨てられるのだ。
おわりに
これで「父の不在・両親の離婚|毒親の娘が母になる(4)」はおしまいです。
結婚したい相手のどこが良かったのか(母より優れた点はどこにあるのか)、泥沼離婚中に母は父に尋たことがあったそうだ。
「お風呂からあがると、キチンと畳まれた下着とパジャマが置いてあるところ」との返答あり、「そんな誰でもできる事で結婚したいと思うなんて、見る目ない男だ」と母はバカにしていた。
結果論から言えば、母と結婚した父は、女の見る目があったとは言い難い。
が、母との結婚で痛い目を見た父が、それだけの理由で結婚したいと思うほど、短絡的な男ではないのも知っていた。
だから母からその話を聞いたとき、当時18才のトリ女はよく理解できなかった。
結婚して30過ぎた今は、父の気持ちが多少分かる。
再婚相手との純粋な夫婦関係が築けていたのだ。
仮に母が下着とパジャマを用意したとしても、父は何とも思わなかったか、否定的に思ったかもしれない。
家族にリターンを求める母から「もっと稼いで来い」という無言のプレッシャーを感じるからだ。
再婚相手にそれを感じなかったのは、母のようなGive & Takeのビジネスライクな関係ではなかったのだろう。
2020年現在、年に数回父夫婦(父と継母)と会っており、父は幸せそうである。
継母は、お世辞にも「美人」とか「スタイル良い」と羨望抱かれるような、母のような華やかな女性ではない。
が、母と違って、一緒にいて圧倒的に気楽なのだ。
毒親パターンの1つ「残酷な言葉で傷つける親」には、残酷な言葉を「お前をもっとましな人間にするためだ」「厳しい世の中に耐えられる人間になるよう教えている」と正当化する特徴がある。
毒親・母はまさにこのタイプで、気になったことは些細な事でも「教育」「家族のため」と称して小言を言い、ゆっくり寛ぎたい家庭を不必要に緊張させた。
私見ではあるが、家庭は社会の厳しさを学ぶ場ではない。
むしろ、社会の厳しさで疲れ切った心身を癒す場である。
母にこういう考え方があれば、また違った夫婦の未来があったかもしれない。
最後に本記事で登場した本を以下にご紹介します。
- スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』(日本語訳:玉置悟)
- スーザン・フォワード著『Toxic Parents - Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life』(『毒になる親 一生苦しむ子供』の原書)
記事更新のはげみになりますので、トリ女のTwitterをフォローしてもらえると嬉しいです。
その他「毒親の娘が母になる」シリーズ記事はこちら。
- 毒親を定義&7つのパターン化した第1回目は、毒親と不幸率100%の絶望家族|毒親の娘が母になる(1)
- トリ女家の毒親をお伝えした第2回目は、トリ女家の毒親|毒親の娘が母になる(2)
- トリ女家毒親の毒親思考プロセスと毒親の毒親をお伝えした第3回目は毒親の自己愛・毒親の毒親|毒親の娘が母になる(3)
- トリ女家父と両親の離婚をお伝えした第4回目は、本記事でお伝えした。
- 毒親に育てられた子供をお伝えした第5回目は、毒親に育てられた子供たち|毒親の娘が母になる(5)
- 毒親の現在(2020年)をお伝えした第6回目は、毒親の現在(2020年)|毒親の娘が母になる(6)
- 毒親からの人生を取り戻す方法をお伝えした第7回は、毒親から人生を取り戻す|毒親の娘が母になる(7)